昔の記憶
すぐに映画館の前で両親と別れ、そこで兄とわたしはアニメ映画をみて、その間に両親はショッピングというのがお決まりのパターン
大抵コナンを観ていた気がするので時期はゴールデンウィークですかね
銀座、良い格好をした大人達、高級店の前を通った時に開くドアから漂う強い香水の香り
今では銀座もひとりで歩けるけど、子どもの頃の記憶が点々と転がってるノスタルズィーを感じちゃう土地です
当時ライブハウスで遊んでいた人たちとはほとんど疎遠だし、あの頃熱狂していたバンドが今どうなっているのかも知らない
そういうのをふと思い出した瞬間、大人になっちゃったんだなあって感じる
似合う土地がない
はてなブログの使い方がぜんぜん分からないちゃんきえです。
ずっと真由やうにと何か作りたい、残したいという話をしてブログでの交換日記という形に落ち着きました。
続くといいな〜
交換日記といえば、小学校のときは鍵付きの交換日記を同じクラスの子3人で回していたし、表紙と裏表紙に裁ち落としで花や動物の写真がプリントされたこじゃれた交換日記は、幼なじみの女の子とのものだった。
二冊の交換日記を書く生活。すごい。余裕ある。
きっと、好きな男の子の話とか先生の悪口とか、そんなことしか書いていないんだろうな〜。
絵を書くのが好きだったから、漫画やイラストも書いていたような気もする。
他愛もない話は後々すると思いますが、初回なのでブログのテーマでもある東京の話をします。
拠点歴↓
東京の江戸川区で生まれ育ち、14歳で千葉のそこそこの都会に引っ越し。
都会の思い出といえば、中学校で初めて訪れた原宿の竹下通り。
お年玉を握りしめて、サン宝石やパリスキッズ、39マートでゴミのような服やアクセサリーを買う子ども。当時は109より竹下通りの方が楽しかった。(今は人が多すぎて足を踏み入れる気にならない)
千葉では中学校に行かないまま東京文京区の高校に進学。
新宿デビューも高校生のとき。ピカデリーで映画観るかアルタに行くか。
大学は埼玉のど田舎、遊びに行くのは川越か池袋。
大学2年の秋から東京の丸の内でバイトを始めるようになって、
有楽町や銀座あたりに連れてってもらい「鼻持ちならないクソみたい人間性の金持ちがいる世の中」について認識し始める。
クラブに通い始めた大学3年のときは、六本木に週2日通う生活をしていた。
新卒で入った会社は渋谷区の神南で、1日誰とも会わないで終わることもあるような仕事なのに毎日ちゃんとメイクして通勤。
転職した今の会社は静かな巣鴨エリア。
実家のある千葉に半身浸かりながら、どっぷり東京で働き、遊ぶ生活をここ何年も続けている。実家のある”地元”で遊んだことなんて1日とてない。
だから家にいると落ち着くけど、最寄り駅に着いても落ち着いた気持ちにはならないし、知ってる飲食店なんて家族で外食に行くときのレストランか愛してやまないサイゼリヤくらいしかないし。
住んでいるから詳しいわけでは全くない。
かといって昔住んでいた江戸川区の友達ともとっくのとうに疎遠なので
懐かしいとは思うけど、もう完全にフェードアウトしている感じ。お互いに。
一つ前のうにの記事で、その土地に似合う人っていうのがある、と言うけれど
私にはそういうのがない気がする。どこに行ってもローカルではない。
そんなコンプレックスなのか諦めなのか慣れなのかわからない感情を抱きながら
どこの町にも馴染めずに東京で時間を消費しています。
おやすみなさい。
きえ
郊外で暮らすということ
2018年3月22日。
東京という街を言葉にするのは難しい。
マクロなクールさとミクロなリアリティが絶妙なバランスで合わさった街だと思う。
埼玉・千葉で暮らし、東京でメイクマネーする3人が、東京という街とカルチャーについて考えてみることにした。
僕たちは、郊外に住んでいる。
気付いたら郊外のベッドタウンで暮らし、3人とも各々いろんな事情を抱えて生きてきた。都内に遊びに行くのも容易で、特別なコンプレックスを抱くこともなく、決して地元の色には染まらず、カルチャーを食べ続けた。
僕の個人的な東京のイメージ。北千住の荒川の土手、新宿アルタ前、渋谷の大手ベンチャーの綺麗なオフィス、下北沢の一番街、池袋駅西口公園、秋葉原の中央通り一本奥の裏道、奥多摩の車酔いする道路。
埼玉と違って、街に特徴があって生きている感じがする。池袋が似合う女の子、秋葉原が似合う男の子、銀座が似合うお姉さん、浅草が似合うおじさん。
2018年、僕らがどこに暮らしの基盤を移すかはまだわからない。
最後はまた、帰ってくるのかもしれない。
日々の忙しい暮らしの中で、色んなことを見つけて行こうと思います。
僕たちは、郊外に住んでいる。
マツモトユフキ
よろしくネ🙇♂️🙇♀️🙇♀️